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北部戦線 (アメリカ独立戦争のサラトガ以降) : ミニ英和和英辞書
北部戦線 (アメリカ独立戦争のサラトガ以降)[ほくぶせんせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north
北部 : [ほくぶ]
 【名詞】 1. north 2. northern part 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦線 : [せんせん]
 【名詞】 1. (war) front 
: [どいつ]
 (n) Germany
独立 : [どくりつ]
  1. (adj-na,n,vs) independence (e.g., Ind. Day) 2. self-support 
独立戦争 : [どくりつせんそう]
 【名詞】 1. American Revolutionary War 2. War of Independence
戦争 : [せんそう]
  1. (n,vs) war 
以降 : [いこう]
  1. (n-adv,n-t) on and after 2. hereafter 3. thereafter 

北部戦線 (アメリカ独立戦争のサラトガ以降) : ウィキペディア日本語版
北部戦線 (アメリカ独立戦争のサラトガ以降)[ほくぶせんせん]

アメリカ独立戦争サラトガ以降の北部戦線は、1778年から1782年にかけて、アメリカ革命勢力とイギリス軍の間の一連の戦闘によって構成されている。2つの主要地域での活動で特徴付けられる。最初のものはニューヨーク市を拠点としたイギリス軍の周りでのものであり、両軍共に互いを探りあい、それが時には注目すべき戦闘になった。2つ目のものは実質的にニューヨーク北部ペンシルベニア北部田園のフロンティアで行われたものであり、アメリカ側は各邦の民兵隊と同盟したインディアン、イギリス側はロイヤリストの部隊をインディアンやイギリス側インディアン代理人が支援し、さらに時としてイギリス正規軍が加わって戦われた。例外的に大陸軍の然るべき部隊がフロンティアに進軍したのは1779年サリバン遠征であり、ジョン・サリバン将軍が遠征隊を率いてニューヨークからイロコイ族インディアンを駆逐することになった。イロコイ6部族連邦各派の中での戦闘は特に残忍なものとなり、インディアンの大半を難民に変えた。
ニューイングランドでは唯一注目すべき戦闘があった。アメリカ軍とフランス軍の連合軍がロードアイランドニューポートからイギリス軍を駆逐しようとしたものである。このロードアイランドの戦いはフランス艦隊が任務を放棄したときに連合軍の敗北となり、この失敗でアメリカとフランスの関係にひびを生じた。1779年、イギリス軍はメイン地区のペノブスコット川でロイヤリストの拠点を構築するためにそこに基地を建設した。マサチューセッツ邦はこれに水陸両面のペノブスコット遠征で応えたが、完敗に終わった。
イギリス軍はニューイングラン海岸の地域社会を襲う作戦を続けた。そのうちの1つがマサチューセッツのフリータウンでの小戦闘であり、マサチューセッツやコネチカットでの襲撃が続いた。1781年グロトンハイツの戦いでは、コネチカット出身のベネディクト・アーノルドがイギリス軍を率い、町に相当な損害を与えた。
== イギリス軍の戦略 ==
1777年10月のサラトガの戦い後、ジョン・バーゴイン将軍の率いていたイギリス軍が降伏すると、フランスが参戦し、アメリカ合衆国を認知して軍事同盟を結んだ。フランスは独立のために戦うアメリカを支援するために大西洋を越えて艦隊と陸軍を派遣し、さらにはカリブ海東インドでも軍事行動を行った。フランスはスペインにも参戦するよう圧力を掛けたが、スペインが参戦したのは1779年になってからであり、他の戦域におけるスペインの行動でイギリス軍の軍事資源を分散させることになった。
このような戦略の変化によってイギリスは北アメリカからその関心を移さざるを得ず、西インド諸島インドなど他の植民地の防衛、さらにはフランスによるイギリス本土侵攻の脅威に対する防衛など陸軍や艦船など軍事資源を移動させることになった。北アメリカではイギリス軍が1778年フィラデルフィアから撤退し、戦争の残り期間はニューヨーク市を北アメリカの本部にした。その後南部戦略を開始し、ジョージアノースカロライナサウスカロライナおよびバージニアの各植民地を支配しようとした。この地域ではロイヤリスト的感情が強いものと信じられていた。戦争の残り期間での北アメリカの軍事行動はこの作戦によって支配されたが、イギリスの強固な基盤であるケベック、ニューヨーク、ロードアイランド、およびノバスコシアでも戦闘や襲撃が起こった。
イギリス軍はサラトガの惨劇の後で軍隊を統合させ、アメリカのロイヤリストや同盟インディアンを多数徴募してその軍隊の不足分を補い、フロンティアにあるパトリオット開拓地の襲撃に向かわせた。イギリスは海軍力では勝っていたのでニューイングランドの海岸線に対する襲撃や水陸両用作戦を展開させた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北部戦線 (アメリカ独立戦争のサラトガ以降)」の詳細全文を読む




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